
カルティエ(Cartier)について
歴史あるフランスのジュエリーと高級時計のブランド「カルティエ(Cartier)」
はじまりは、1847年、ルイーフランソワ・カルティエが28歳のとき、師であった宝石商アドルフ・ピカールのジュエリー工房を受け継ぐことになります。その工房はパリのモントルゲイユ通りにあり、ここからカルティエが誕生しました。 1853年には、ヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地に個人顧客を対象にしたジュエリーショップをあらたにオープンさせます。
1898年アルフレッド・カルティエ、息子のルイ・カルティエを共同経営者に加え社名を「アルフレッド・カルティエ&フィス」に変更します。一流ブティックが軒を連ねる世界的に有名なファッション・ストリートであったラ・ペ通り13番地にブティックを移転させます。 さらにこの頃には、当時、ファッション・リーダーとして名を馳せていたフランス皇帝ナポレオン3世の后、ユウジェニー皇后も顧客となり、ナポレオン3世の御用達のジュエリーブランドとなっていました。
カルティエのプラチナダイヤモンドジュエリーが世界中から大絶賛
1902年、ニューバーリントン通り4番地にカルティエ・ロンドンをオープンさせます。この少し前から、銀の代わりにプラチナをセッティングに使用し一躍脚光を浴びます。プラチナは軽さと強度を兼ね備えており、ダイヤモンドの光を際立たせる性質をもっている事から、ダイヤモンドジュエリーの金属としては最適でした。これにより世界中の王侯貴族から大絶賛を受けることになります。
1904年、イギリスの女王エドワード7世から、「Jeweller of kings, king of jewellers」(王の宝石商、宝石商の王)とまで讃えられました。この頃、ルイ・カルティエは友人のブラジル人飛行士アルベルト・サントス・デュモンから「飛行機の操縦桿から手を離さずに見ることのできる時計が欲しい」というリクエストを受け、レザーストラップ腕時計を製作します。 これが、カルティエ初の男性用腕時計になります。
1913年には天才時計師モーリス・クーエにより、初のミステリークロック「モデルA」を発表しました。水晶の中に文字盤が浮いているように見えるため、この名がついたことも有名です。
1933年にはジャンヌトゥーサンがハイ・ジュエリー部門の責任者となり、顧客名簿に名を連ねる世界の王侯貴族のために芸術性にあふれるジュエリーを製作します。そのうちのひとつが「パンテール」。パンテール(パンサー)をモチーフにしたこのシリーズは一世を風靡し、ウインザー公爵夫人が1949年に注文した152.35カラットのカシミールサファイアをプラチナにセットしたパンテールのブローチはあまりにも有名です。
1968年にカルティエ・ブランド初のオーバル型高級ライター(収納式ローラー)が誕生します。
カルティエグループの再統合
1972年にジョゼフ・カヌイを中心とする投資家グループがカルティエ・パリを買取します。 これを機に、その後70年代から80年代にかけ、世界に散らばるカルティエグループが再統合れ、巨大なラグジュアリーグループの誕生となりました。
1983年、腕時計「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。 1985年、防水腕時計にヒントをえた腕時計「パシャ」を発表。 1987年、香水「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。
1993年には、投資家グループにより、ヴァンドーム・グループ(現在のリシュモン)が設立され、現在では、リシュモンの傘下となっています。
日本では
日本では、2005年、カルティエ 南青山ブティックがオープンし日本国内では32店舗目、ダイヤモンドを連想させる外観は銀座2丁目ブティックも手がけたブルーノ・モワナーがデザインを担当しました。 同時に青山との共生を図る「カルティエ青山芸術文化サロン」も発足し音楽家の坂本龍一らが参画。シンポジウム開催やタブロイド誌発行などを手がける。
2008年には世界初のオンラインショップを日本からスタートしました。
150年以上もの間、女性を魅了するジュエリーを作り続けてきたカルティエ。 その高い芸術性と確かな品質は現代にも受け継がれ、現在でも多くの人々に愛されています。
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